東北の「戸(へ)」の付くまちは、馬とヒエの産地です。

青森県、岩手県には「戸(へ)」の付く地名が、一戸(いちのへ)から九戸(くのへ)までありましたが、現在は四戸(しのへ)は縁起が悪いからと変わりました。青森県に5つ、岩手県に3つの「戸」の地名がありますが「戸」の由来は、厩(うまや)の戸という意味で、南部藩は馬の生産地で官営牧場を九つの区画に分けて管理していた名残です。
もう一つの「戸」の由来になったのは、この地区で作られていた雑穀の「ヒエ」が「戸」の語源になったという説です。ヒエの実は人が食べ、脱穀後の殻や茎を馬の飼料にし、堆肥は雑穀畑で活用する“循環式農業”が早くから定着していたそうです。
「ヒエ」は生命力が強く、天明や天保の大冷害による飢饉をこの「ヒエ」で乗り越えています。厩(うまや)の戸、ヒエからの語源からの「戸(へ)」、どちらも循環式農業からの由来として「戸(へ)」の地名があると思うと納得の「戸」に思えます。地図を開いて地名の「戸」を探すのも楽しい時間ですが、どうでしょうか。

民謡「ひえつき節」を唄いながら

雑穀を代表するヒエやアワは、古くは主食でした。宮崎県の平家の落人が住みついた椎葉村で唄われている民謡「ひえつき節」をご存知でしょうか。ダム工事に入った工事関係者たちから広がり1953年(昭和28)にレコードに吹き込まれて全国に広がりました。
「庭の山椒の木鳴る鈴かててヨーホ 鈴の鳴るときや出ておじゃれヨー なんぼついてもこのヒエ搗けぬ、どこの蔵の下積みかヨ~」
椎葉村では焼畑のヒエ畑から穂先だけを刈り取り、杵でヒエを搗いて脱穀するときに唄われた仕事唄でした。
岩手県の北上山系地帯や熊本県の山地でもヒエを搗く時の仕事唄として今も残っているそうです。農閑期に男女が集まってヒエを搗くときには、恋の唄の掛け合いになったとか。ヒエは体を芯から温める陽性な穀物で、縄文時代以前から日本全土で栽培され、山間地では昭和40年代まで主食の座を保っていました。

菜食主義で強靭な体力を保つマサイ人

人は、一日で帰ってこられる広さは半径約16km以内で、昔の人は“四里四方の食べ物を食べると健康になる”といい、この範囲の食べ物を主にして、季節の山野草や地野菜を食べて季節の気候に対応する力をもって生きてきたのです。「身土不二」という教えは長い人間の営みの知恵なのです。
狩猟民族として名高いケニアのマサイの人々も、食料の八割以上を植物に依存しているそうです。
タカキビやシコクビエ、トウジンビエ、アフリカ稲などの雑穀と菜食、芋、豆を中心とした菜食で強靭な体力と健康を保っています。
豊富な食生活に満たされた現代人が、いま雑穀に魅せられるのは“先祖帰り”なのでしょうか。小さな“ツブ”の雑穀が強力な力を持っていることを現代の栄養学が多様な植物栄養素の成分の発見とその効用を実証してくれたことでマサイ人の強靭な体力の秘密を解きあかしてくれたのですね。

比内地鶏のブランド化

96年、人気グルメ漫画「美味しんぼ」が“恋のキリタンポ”と題して連続で比内地鶏を取り上げた頃から全国にその名が広がり始めました。といっても比内地鶏は鍋料理のだしや具材で、いってみれば“脇役” でした。

その頃、東京では薩摩鶏や名古屋コーチンなどの鶏がブランド化され高級焼き鳥として売られておりましたが、最少種の比内地鶏も焼き鳥の仲間入りをし今の全国的な人気ブランドの鶏となったのです。
勿論、比内地方原産のシャモ系地鶏は昭和17年に国の天然記念物に指定されていますので、秋田県畜産試験所の努力によって一代交雑種「比内地鶏」を生み出し、キジや山鳥に似た脂がきめ細かいかみしめるほどうまみと風味と香気がでる美味しい比内地鶏として、キリタンポの具材から一躍高級焼き鳥として人気のブランドとなったのです。

放し飼いでついばむ比内地方の土質や秋田の風土が生み出す味なのです。

「五穀米」から生まれる世界一の演奏

「ベルリン・フィル」と聞けば誰もが世界一のオーケストラだとわかりますが、この管弦楽団を率いる第一コンサートマスターが日本人の樫本大進さんです。さまざまの楽器を演奏する楽団員と指揮者の間にいて、一体となって音楽を構成する役割もあり互いに信頼し、尊敬しあう関係づくりに気を使う難しい仕事です。演奏会は夜が多く健康には充分注意をはらっているそうで、食事は奥様の和食中心の手料理で健康管理をされています。
樫本さんはカツ丼が好物だそうですが、奥様は健康のために「五穀米」でカツ丼を作られます。世界一のバイオリンの音色とベルリン・フィルの演奏は「五穀米カツ丼」で奏でられると思うと、なぜかワクワクします。
樫本さんは、1979年ロンドンで生まれ、3歳でバイオリンを始め、96年にロン・テイボー国際音楽コンクールで優勝し、2010年ベルリン・フィル第一コンサートマスターに就任された“世界の匠”ですね。

400年前の遺言

北秋田市にある鷹巣町と比内町にまたがる森吉山の山麓にある、鍋を伏せた形の竜ケ森(1049m)がありますが、名前のように竜を神にまつる山で雨乞いの風習があり、そのため「竜ケ森」と呼ばれています。
今は、竜ケ森野外リクレーション場が開設され、上母木には天然秋田杉の風景林が「学術参考林」として設定され親しまれています。この豊かな国有林は、400年以上も前から守り続けられており秋田藩主の佐竹氏の命によりこの地に調査に入った団長の渋江内膳政光によって「秋田の豊かな林野と農業に藩政の基礎政策を置くべきである」と指摘し、渋江政光の「遺言」として残っています。
「国の宝は山なり。山の衰えは即ち国の衰えなり。百姓は国の宝なり。百姓衰ふときは国もまた衰ふなり」この渋谷の遺言を「竜ケ森」の名とともに400年も継承していると思うと「くまさん自然農園」も身が絞まります。

つぶつぶ雑穀酒

お酒はお米や麦、果物から造るイメージが強いのですが、古くは雑穀からも造られていますがご存知ですか。
日本ではアイヌ民族がピヤパと呼ぶ「ひえ」から“トノト”という儀式に欠かせない酒を造っています。ネパールでは「シコクビエ」を発酵させた“チャン”というつぶつぶ酒が飲まれていますし、中国では「高きび」を原料に“白乾・パイカル”が造られ「コーリャン」と呼ぶモロコシから“コーリャン酒”が造られています。日本でも20年程前から福島県で「高きび」から焼酎が造られ、毎年秋には“高きび祭り”が開催されています。
岩手県北上山地では「ひえ」で“どぶろく”を造り、疲労回復のために飲んでいます。
福島県では蕎麦を原料にした“蕎麦酒”、福岡県では「ごま」から“ごま焼酎”が造られていますが、全国にはまだまだ雑穀を原料にした地方色豊かな“つぶつぶ酒”があるのではないでしょうか。

卑弥呼とジョン・レノン

邪馬台国の女王・卑弥呼の時代、弥生人はある調査によると一回の食事で3900回以上噛んでいたそうです。
一方、ベジタリアンで世界に平和のメッセージを発信し続けたジョン・レノンは、一回の食事で1000回噛むことを心がけていたそうです。噛むことによって唾液を分泌し、唾液に含まれるでんぷん消化酵素が穀物や野菜をブドウ糖に変え口の中でおいしさを広げ、脳への刺激と同時に脳の働きに欠かせないブドウ糖を供給し、脳細胞を活性化します。
よく噛むことによって、唾液の分泌、あごの運動による脳への刺激と必要な栄養補給を迅速にし、脳の活性化によって体の働きを高める効果をもたらします。
特に“つぶつぶ雑穀”を食事に取り入れることによって噛む回数が増え、体内の臓器を始め脳の活性化を促し、健康長寿の礎となること間違いありません。
雑穀は、“健効の素”ですね。

生涯学習の源流、鷹巣「内館文庫」

秋田には大館や角館という「館」のつく地名がありますが鷹巣地方にも「館」のつく地名が数多くあります。「館」はアイヌ語では「柵囲い、砦」の意だそうです。蝦夷時代には防砦として利用され、鎌倉時代には「館」は武士の邸宅でしたが行政的な機能も加わり、軍事的な役割も果たしています。東館、西館、内館の呼び名もあり、やがてこの「館」を利用した家塾が開かれ庶民の教育や学校、図書館としても広がっていきました。
鷹巣地方では「内館塾」を始め15校の家塾が秋田藩や全国の水準を上回る教育施設として栄え、明治、大正期には人材輩出の基礎となっています。その一人に江戸時代の比内文化を代表する碩学(せきがく)の人で朱子学を確立した学者、宮野尹賢を生んでいます。
字源では「館」は、食と人が集まっている家の意です。優秀な人材が集まり図書の貯蔵をつかさどる意もあり、「内館文庫」は豊穣の地、鷹巣の知恵の殿堂なのです。