東北の縄文文化と雑穀のルーツ(Ⅰ)

1万年続いた縄文時代の人口分布のピークは26万人で東日本が24万人、西日本は2万だと住居や生活遺跡などから推測されています。
ユネスコの世界遺産委員会は、北海道・北東北の縄文遺跡を世界文化遺産に決定しました。
紀元前の遺跡は初めてで、北海道・青森・秋田・岩手に点在する遺跡から縄文人の生活文化がわかってきました。東北地方は狩猟・採集・漁労に恵まれた自然環境から農耕や牧畜、定住が進み人口増になったと思われます。
くまさん自然農園の近くにある縄文時代の伊勢堂岱遺跡の発掘調査では、土器や石器などが発見され、クルミや栃の実や栗の実などの木の実や果物、栽培種としてソバやイネ科の花粉も確認され雑穀種の採集を思わせます。東北3県に広がる縄文時代から弥生時代の遺跡の発掘が進めば日本列島の一大都市東北の生活文化や食文化が実証され、東北の豊かな雑穀のルーツが解明されそうです。

彩り豊かな“雑穀デザート”を楽しむ

雑穀粉の彩り豊かなソースを作って夏バテ回復のデザートはいかがでしょう。
雑穀粉はお菓子づくりで使うゼラチンや生クリーム、ミルクや卵などの特性を併せ持つナチュラルな食材です。
雑穀粉を片手鍋に好みのジュース(オレンジや葡萄ジュース、赤ワイン、牛乳)を入れて溶かしダマにならないよう強火にかけて木ベラでかき混ぜ、クリーム状になったらそのままかき混ぜ、つややかな透明感が出たら塩少々を入れて雑穀の甘さを引き出し、型へ流し込んで冷やします。
赤紫色のタカキビ粉は葡萄ジュースと赤ワインで溶いたブラマンジェ(デザート)に、アワ粉やヒエ粉を使ったババロアなど、雑穀粉の色を楽しみながら食物繊維やミネラル豊富なソースでデザート作りはいかがでしょう。
運動不足の日常に欠かせない健康食としておすすめのデザートです。

今だから雑穀パン作り

コロナ禍でテレワークや在宅勤務が日常になり家で料理を作る時間が増えています。料理家電や部屋の改築などライフスタイルにも変化があるようですが自粛自衛がまだ続く時間、健康な食生活の工夫も必要です。
家庭でのパン焼き器も普及し手軽にパンが焼けるようになり、栄養豊富な雑穀を活用した“雑穀パン”作りをおすすめします。
雑穀入りのパン生地は、炊いた雑穀を混ぜ込む方法と雑穀粉を混ぜて作る方法がありますが、あわ粉を使った生地にドライフルーツを入れた食感を楽しむヘルシーなパンや炊いたひえご飯で焼くパンはモチモチの食感がなんともいえません。
なんといっても雑穀パンは焼きたての香りと素朴な味は新しい味わいです。しっかり噛んで甘みが楽しめる栄養価の高いパンは停滞した日常に活力を取り戻すメニューです。雑穀パンに和風惣菜をサンドしたサンドイッチと楽しみも広がります。

初夏に飲む雑穀甘酒は“和風ヨーグルト”

江戸の初夏は天秤棒を担いで冷たい甘酒を売りで賑わったそうです。甘酒は冬のイメージがありますが、夏バテをしない体づくりの健康飲料だったのです。
名前は“甘酒”ですがアルコール分はゼロで麹菌の働きで、でんぷんをブドウ糖に変えた天然甘味飲料です。
腸内環境を整え悪性の菌に感染したりすることを防ぐ現代にもぴったりの保健飲料です。
ヒエやアワ、キビなどの雑穀粥で作る甘酒はカスタードクリームやチョコレート風の栄養価の高い甘酒となります。
酸化を防ぎ若さを保つ抗酸化成分を生成し、アミノ酸バランスに優れビタミンやミネラル、食物繊維も豊富な健康乳酸飲料として和風ヨーグルトともいえる夏の飲み物です。
コロナ禍の拡大する時代、健康維持増進に是非、雑穀甘酒の活用をおすすめします。
江戸の知恵を復活したいものですね。

東北の「戸(へ)」の付くまちは、馬とヒエの産地です。

青森県、岩手県には「戸(へ)」の付く地名が、一戸(いちのへ)から九戸(くのへ)までありましたが、現在は四戸(しのへ)は縁起が悪いからと変わりました。青森県に5つ、岩手県に3つの「戸」の地名がありますが「戸」の由来は、厩(うまや)の戸という意味で、南部藩は馬の生産地で官営牧場を九つの区画に分けて管理していた名残です。
もう一つの「戸」の由来になったのは、この地区で作られていた雑穀の「ヒエ」が「戸」の語源になったという説です。ヒエの実は人が食べ、脱穀後の殻や茎を馬の飼料にし、堆肥は雑穀畑で活用する“循環式農業”が早くから定着していたそうです。
「ヒエ」は生命力が強く、天明や天保の大冷害による飢饉をこの「ヒエ」で乗り越えています。厩(うまや)の戸、ヒエからの語源からの「戸(へ)」、どちらも循環式農業からの由来として「戸(へ)」の地名があると思うと納得の「戸」に思えます。地図を開いて地名の「戸」を探すのも楽しい時間ですが、どうでしょうか。

民謡「ひえつき節」を唄いながら

雑穀を代表するヒエやアワは、古くは主食でした。宮崎県の平家の落人が住みついた椎葉村で唄われている民謡「ひえつき節」をご存知でしょうか。ダム工事に入った工事関係者たちから広がり1953年(昭和28)にレコードに吹き込まれて全国に広がりました。
「庭の山椒の木鳴る鈴かててヨーホ 鈴の鳴るときや出ておじゃれヨー なんぼついてもこのヒエ搗けぬ、どこの蔵の下積みかヨ~」
椎葉村では焼畑のヒエ畑から穂先だけを刈り取り、杵でヒエを搗いて脱穀するときに唄われた仕事唄でした。
岩手県の北上山系地帯や熊本県の山地でもヒエを搗く時の仕事唄として今も残っているそうです。農閑期に男女が集まってヒエを搗くときには、恋の唄の掛け合いになったとか。ヒエは体を芯から温める陽性な穀物で、縄文時代以前から日本全土で栽培され、山間地では昭和40年代まで主食の座を保っていました。

菜食主義で強靭な体力を保つマサイ人

人は、一日で帰ってこられる広さは半径約16km以内で、昔の人は“四里四方の食べ物を食べると健康になる”といい、この範囲の食べ物を主にして、季節の山野草や地野菜を食べて季節の気候に対応する力をもって生きてきたのです。「身土不二」という教えは長い人間の営みの知恵なのです。
狩猟民族として名高いケニアのマサイの人々も、食料の八割以上を植物に依存しているそうです。
タカキビやシコクビエ、トウジンビエ、アフリカ稲などの雑穀と菜食、芋、豆を中心とした菜食で強靭な体力と健康を保っています。
豊富な食生活に満たされた現代人が、いま雑穀に魅せられるのは“先祖帰り”なのでしょうか。小さな“ツブ”の雑穀が強力な力を持っていることを現代の栄養学が多様な植物栄養素の成分の発見とその効用を実証してくれたことでマサイ人の強靭な体力の秘密を解きあかしてくれたのですね。

比内地鶏のブランド化

96年、人気グルメ漫画「美味しんぼ」が“恋のキリタンポ”と題して連続で比内地鶏を取り上げた頃から全国にその名が広がり始めました。といっても比内地鶏は鍋料理のだしや具材で、いってみれば“脇役” でした。

その頃、東京では薩摩鶏や名古屋コーチンなどの鶏がブランド化され高級焼き鳥として売られておりましたが、最少種の比内地鶏も焼き鳥の仲間入りをし今の全国的な人気ブランドの鶏となったのです。
勿論、比内地方原産のシャモ系地鶏は昭和17年に国の天然記念物に指定されていますので、秋田県畜産試験所の努力によって一代交雑種「比内地鶏」を生み出し、キジや山鳥に似た脂がきめ細かいかみしめるほどうまみと風味と香気がでる美味しい比内地鶏として、キリタンポの具材から一躍高級焼き鳥として人気のブランドとなったのです。

放し飼いでついばむ比内地方の土質や秋田の風土が生み出す味なのです。

「五穀米」から生まれる世界一の演奏

「ベルリン・フィル」と聞けば誰もが世界一のオーケストラだとわかりますが、この管弦楽団を率いる第一コンサートマスターが日本人の樫本大進さんです。さまざまの楽器を演奏する楽団員と指揮者の間にいて、一体となって音楽を構成する役割もあり互いに信頼し、尊敬しあう関係づくりに気を使う難しい仕事です。演奏会は夜が多く健康には充分注意をはらっているそうで、食事は奥様の和食中心の手料理で健康管理をされています。
樫本さんはカツ丼が好物だそうですが、奥様は健康のために「五穀米」でカツ丼を作られます。世界一のバイオリンの音色とベルリン・フィルの演奏は「五穀米カツ丼」で奏でられると思うと、なぜかワクワクします。
樫本さんは、1979年ロンドンで生まれ、3歳でバイオリンを始め、96年にロン・テイボー国際音楽コンクールで優勝し、2010年ベルリン・フィル第一コンサートマスターに就任された“世界の匠”ですね。

400年前の遺言

北秋田市にある鷹巣町と比内町にまたがる森吉山の山麓にある、鍋を伏せた形の竜ケ森(1049m)がありますが、名前のように竜を神にまつる山で雨乞いの風習があり、そのため「竜ケ森」と呼ばれています。
今は、竜ケ森野外リクレーション場が開設され、上母木には天然秋田杉の風景林が「学術参考林」として設定され親しまれています。この豊かな国有林は、400年以上も前から守り続けられており秋田藩主の佐竹氏の命によりこの地に調査に入った団長の渋江内膳政光によって「秋田の豊かな林野と農業に藩政の基礎政策を置くべきである」と指摘し、渋江政光の「遺言」として残っています。
「国の宝は山なり。山の衰えは即ち国の衰えなり。百姓は国の宝なり。百姓衰ふときは国もまた衰ふなり」この渋谷の遺言を「竜ケ森」の名とともに400年も継承していると思うと「くまさん自然農園」も身が絞まります。