秋田の”餅”考

江戸後期の民族研究家、菅江真澄は長く秋田に暮し柳田国男に民俗学の祖と言わしめた人物です。 

その菅江の残した膨大な食の記録の中で特に秋田県各地の「餅」に関する記述があります。正月行事の餅、年中行事の餅、お菓子の餅、救荒食としての餅や凶作時に村人が考案した餅、マタギの餅やキリタンポ、ダマコモチの元祖のような餅にいたるまで、その食べ方や調理法まで記述は細部にわたっています。 

「餅」と言えば、もち米を使った白餅ですが当時は赤米やきび、あわの雑穀餅、豆餅やとち餅など多用な食材を使って作られました。餅は稲作が伝来し、蒸す技術が普及してきた弥生時代頃からひと手間かけて作られることから神に供える食物でした。 

日本では正月などの祭事に食べる慣習がありますが、岩手県では一年を通じて餅を食べる日が決められた「もち暦」があるそうです。 

秋田の「G・Bビジネス」

秋田県の「元気村G・Bビジネス」が話題です。Gは、じっちゃん、Bは、ばっちゃんの頭文字で、山で摘んだ山菜やキノコを産直販売や加工販売する事業です。2010年から始まり、年々出荷額が伸びています。
G・Bビジネスの先駆者は、高知県上勝町の“葉っぱビジネス”が有名ですが、刺身のつまものや料理のいろどりを出荷し老人ホームのいらないまちとして地方再生のモデルとなっています。秋田のG・Bビジネスは4誌1町1村の地域でつくる「元気ムラ集落ネットワーク」で取り組み、臨時直売所を設けたり首都圏のスーパーに出荷したり、加工品を作り販路を広げています。関東のスーパーでは天然の旬の山菜は珍しく、自然の香りも高く質も良く新鮮で天ぷらに適した春の山菜はシニア層などにも人気です。
自然に囲まれた「くまさん自然農園」も、山菜やキノコの宝庫です。どうか、お出かけください。

山の民マタギと北秋田

「くまさん自然農園」のある北秋田市の森吉山麓にマタギの里と呼ばれる阿仁町があります。マタギとは伝統的な猟法を守って狩猟をする山の民ですが、山への敬愛と熊を山の神からのたまものとする考え、山の神への感謝、魂を山に送り返そうとする行為や精神にささえられ、その生き方はマンガ家、白戸三平さんのライフワーク「カムイ伝」にも描かれています。
マタギは熊以外の鳥獣や薬草にも知識が深く、自然と共生して暮らしていました。マタギの語源説はいくつもありますが、アイヌ語で狩猟者をマタンギトノというのでこれが転じたという説やインド語でも狩猟者をマータンギといい、マタギが唱える不思議な呪文もサンスクリット語(古代インド語)だそうです。
遠い昔、古代インドの民とアイヌはつながっていたのでしょうか。その子孫たちがマタギとしてこの「くまさん自然農園」の地で活躍していたと思うとロマンを感じます。

秋田の食材で給食日本一に!

鷹巣の隣町、世界自然遺産で知られた白神山地の麓にある自然豊かな藤里町が、12月に開かれた全国47都道府県から2157の学校施設が応募した「全国学校給食甲子園」で、藤里町学校給食センターが優勝しました。
地元の食材を使って栄養価などを競う大会で、献立は「白神あきたこまち」で作ったきりたんぽに、地元産の味噌を付けて焼いた「みそつけたんぽ」や白神舞茸の「うどん汁」、「とんぶりあえ」、「枝豆のかわりがんも」や「やまぶどうゼリー」などで、嬉しい全国一に輝きました。
藤里町内の幼稚園や小中学校の280人分の給食を作るセンターの栄養教諭や調理員の皆さんが、地元産の食材にこだわり安心・安全を第一季節感や食文化学習にも目配りした献立での優勝です。
自然豊かな秋田ならではの優勝に、くまさん自然農園も嬉しく、給食にもっともっと雑穀を取り入れてほしいなあと思っています。

ふるさとのDNA「森吉山」と「米代川」

くまさん自然農園のある鷹巣地方は、豊かな恵みをもたらす米代川と遥かな森吉山(1,454m)がふるさとの誇りです。鷹巣小学校の校歌には「米代川にかげうつし 清くそびえる森吉山を 心の鏡とあおぎつつ 正しくのびていくわれら」と歌われ、鷹巣中学校では「遙かにのぞむ 森吉山よ 米代川に 影さして 清き姿 仰ぎつつ 風さえゆかし わが学びやよ」とあり、鷹巣農林高校では「流れて広き 米代川よ 聳えて高き 森吉山よ 偉大の自然に 朝夕鑑み 若き我等ぞ 学びに励む」と歌われているのです。
この地で生まれ育った子どもたちにとって米代川と森吉山はふるさとのDNAとして体にとけ込む風景です。縄文遺跡も多く森吉町の「白坂遺跡」からは有名な「遮光器土偶」や「人面付環状注口土器」なども出土しています。阿仁町からは鮭が刻まれた「魚型文刻石」(別名・鮭石)も出土しており、縄文人の豊かな暮らしがわかります。
そんな豊穣の地の山、川に感謝する事から一日が始まります。
(参考文献:「あきた北空港」(前川清治著・秋北新聞社刊)

比内鶏の秘密

鷹巣から少し内陸の大館市や比内町は、古くから肉の美味しい比内鶏で有名です。

この「比内」という地名は、金田一京助先生によるとアイヌ語で「崖下を流れる小川のほとり」という意味で、豊かな自然の風景を思わせます。比内鶏は昭和17年、国の天然記念物に指定され、「声良鶏 (こえよしどり)」(国の天然記念物)、「金八鶏(きんぱどり)」(秋田県の天然記念物)とあわせ「秋田三鶏」と称される自慢の鶏たちです。天然純血種の比内鶏の食用は禁じられていますので、アメリカのロードアイルランドレッド雌と掛け合わせた一代雑種が「比内地鶏」という名前で生産・流通されているわけです。

秋田郷土料理「きりたんぽ」は、比内地鶏抜きでは語れません。比内地方の土質が、キジや山鳥に似た肉質と脂のきめ細かい比内地鶏を生む秘密だそうです。噛みしめるほど美味しい風味と香気がでる比内地鶏は、自然界からの贈り物なのかもしれませんね。

ダンブリ長者と米代川(よねしろがわ)

「くまさん自然農園」にとって“母なる河”米代川は、岩手、青森、秋田の県境にある中岳(1024m)に源があり、岩手から花輪・大館・鷹巣盆地を経て能代平野から日本海に注ぐ延長136kmの豊かな1級河川です。
この米代川の名前にはおもしろい伝説があり、なんでも鹿角地方に住む「ダンブリ長者」と呼ばれる長者の屋敷から多量のお米をとぐ白いとぎ汁が河に流れ、「米白川」と呼ばれたことから「米代川」となったのだそうです。その他にも、蘭医で地理学者の古川古松軒が紀行文に「野代川」と書いています。「野代」は野に代ることから、能く代わるように「能代」と改称され、河口が砂堆地で「砂代(ヨネシロ)」といわれたなどの説もあります。米代川は古くから舟運が盛んで上流の村々から秋田杉や鉱山の金・銅・鉛などを運ぶ動脈だったのです。川幅いっぱいに水が流れる米代川は、大洪水を起こしながら肥沃な地をもたらし、ダンブリ長者を育てた豊かな土地を生んだ“母なる河”なのです。

参考文献:あきた北空港/前川清治・秋北新聞社

地形から生まれた「鷹巣」と「前山」

私たちの「くまさん自然農園」のある北秋田市は平成17年、鷹巣・森吉・阿仁・合川の4町が合併して誕生しました。「母なる河」、米代川流域と白神山地の 懐に抱かれた鷹巣盆地にあり、自然豊かな地です。米代川は古くから洪水を繰り返し、その氾濫原から作られた小高い段丘の台地が「高州(たかす)」と呼ばれ たことから「鷹巣」の地名が生まれました。
また、羽州街道が山麓を横断する「前山」は、米代川に注ぐ前山川の下流で米代川に突き出した山根ぎりぎりまで田地が伸びた地形から、「前山」と呼ばれたそ うです。特異な地形と枝沢が多い前山地区は昔から人々が協力して田畑を作る自作農家で“協働のむらづくり”精神が根づいていました。
「天保飢饉」(1832年〜1836年)でも、前山村は大凶作に備えて「籾」を蓄えていたことから、鷹巣村とともに一人の餓死者も出さなかったとの記録が残っています。前山には豊年満作と厄除けを祈願する珍しい盆踊りが伝承されていますので、またお話しましょう。