雑穀づくりと“ことわざ”

山の残雪が馬の形になったら田植えの時節と、地域によって言い伝えがあるように東北地方にも雑穀づくりにタイミングや作業を愛でることわざがあります。
・「八十八夜にあわを播け」
地方によって温暖差があり一般には百五の別れ霜(5月20日頃)が適切なのですが、東北では八十八夜の半月後頃からあわ播きの適期となるとのことです。
・「あわの一粒は汗の一粒」
あわ栽培の管理が大変なことからあの小さな一粒一粒に汗がにじむ苦労があるとの例えです。作物栽培に共通することわざかも知れませんね。
・「若い者ときびの穂は盆には出る」
きびの穂は順当ならお盆に出るように村の若者は当然盆踊りにはでかけなさいと若者を後押しすることわざです。
雑穀の農作業にも愛情のある“ことわざ”がたくさんありますね。

“酒と女と祭り”

ちょっと気を引くタイトルにしましたが雑穀の話です。酒造りの元祖は猿で木の祠などに木の実を貯めて自然に発酵したものが “猿酒”で、人間も縄文時代から酒を作っていたことがわかっています。
西洋では葡萄酒づくりに乙女が足で踏んで新酒を作ったり、日本でも地方によって酒造りは女性の仕事となっていました。
酒の原料も多種多様で古くはキビやアワなどの雑穀で作られ、酒は神に捧げられふるまい酒として祭りや収穫祭に欠かせない飲み物として伝承されています。
飛騨のどぶろく祭りや台湾の栗祭りなど、酒は清めの御酒でありふるまい酒として生活文化の必需品でした。
酒は百薬の長といわれたり、禁酒法の時代があったりで何かと物語の主人公になりがちですが、江戸時代から“酒なくて何の己が桜かな”と、長く人生の潤滑油なのです。

雑穀食がもたらした“飯碗”文化

子供の頃から手に茶碗を持って食事するのが日本の食文化でしたが、世界と比較するとどうやら異なります。西洋は皿とナイフとフォークの食卓ですし、身近な中国や韓国でも茶碗を口につけて箸で食べる習慣はありません。陶器も有田焼や清水焼、備前焼、九谷焼と賑やかですし、味噌汁やお吸い物をいただく輪島塗などの漆器の椀と日本独自の食器なのですが、この食生活のルーツは雑穀食がもたらした食文化だと言われています。
白米を主食とするようになったのは、戦後ですがそれまでは、古来の糅飯や雑炊が中心でしたから日常的に使って食器も碗(椀)と箸(短箸)で飯碗を口につけて箸でかきこむ食生活だったのです。
雑穀を様々な形で主食にしたため今の手で持って口元に運ぶつつましやかな“一汁一菜”の食文化が根づき、陶器や漆器の椀でなくても一人ひとりの決まった食器で食事をする文化は雑穀食がルーツなんですね。

東北の縄文文化と雑穀のルーツ(Ⅱ)

土着の縄文人に約3千年前から北東アジアから移住し混血した弥生人とさらに東アジアから移住した古墳人によって現代日本人が形成されたと金沢大学・鳥取大学の研究チームによって古代人のDNA解読から日本人の遺伝的特徴がほぼ一致することが判明しました。北海道・北東北の世界文化遺産の登録が進み秋田でも旧石器時代から縄文、弥生、古墳から16世紀後半に渡る遺跡の研究が進み古代人の生活が解明されてきました。

くまさん農場の近くのハケノ下遺跡の発掘調査からも長い時代の生活様式がわかってきました。米代川の左岸の広がる大野台台地は形成年代の異なる多くの段丘によって構成され縄文から平安時代の遺構・遺物が検出され、鎌倉時代の板立柱建物跡や水田跡、畑跡と考えられる畝状遺構、カマドを有する竪穴建物跡や集落跡の溝跡からは炭化米、雑穀が出土し、古代人の生活の痕跡が確認されています。古代人の豊かさを現代に継承したいものです。

東北の縄文文化と雑穀のルーツ(Ⅰ)

1万年続いた縄文時代の人口分布のピークは26万人で東日本が24万人、西日本は2万だと住居や生活遺跡などから推測されています。
ユネスコの世界遺産委員会は、北海道・北東北の縄文遺跡を世界文化遺産に決定しました。
紀元前の遺跡は初めてで、北海道・青森・秋田・岩手に点在する遺跡から縄文人の生活文化がわかってきました。東北地方は狩猟・採集・漁労に恵まれた自然環境から農耕や牧畜、定住が進み人口増になったと思われます。
くまさん自然農園の近くにある縄文時代の伊勢堂岱遺跡の発掘調査では、土器や石器などが発見され、クルミや栃の実や栗の実などの木の実や果物、栽培種としてソバやイネ科の花粉も確認され雑穀種の採集を思わせます。東北3県に広がる縄文時代から弥生時代の遺跡の発掘が進めば日本列島の一大都市東北の生活文化や食文化が実証され、東北の豊かな雑穀のルーツが解明されそうです。

彩り豊かな“雑穀デザート”を楽しむ

雑穀粉の彩り豊かなソースを作って夏バテ回復のデザートはいかがでしょう。
雑穀粉はお菓子づくりで使うゼラチンや生クリーム、ミルクや卵などの特性を併せ持つナチュラルな食材です。
雑穀粉を片手鍋に好みのジュース(オレンジや葡萄ジュース、赤ワイン、牛乳)を入れて溶かしダマにならないよう強火にかけて木ベラでかき混ぜ、クリーム状になったらそのままかき混ぜ、つややかな透明感が出たら塩少々を入れて雑穀の甘さを引き出し、型へ流し込んで冷やします。
赤紫色のタカキビ粉は葡萄ジュースと赤ワインで溶いたブラマンジェ(デザート)に、アワ粉やヒエ粉を使ったババロアなど、雑穀粉の色を楽しみながら食物繊維やミネラル豊富なソースでデザート作りはいかがでしょう。
運動不足の日常に欠かせない健康食としておすすめのデザートです。

今だから雑穀パン作り

コロナ禍でテレワークや在宅勤務が日常になり家で料理を作る時間が増えています。料理家電や部屋の改築などライフスタイルにも変化があるようですが自粛自衛がまだ続く時間、健康な食生活の工夫も必要です。
家庭でのパン焼き器も普及し手軽にパンが焼けるようになり、栄養豊富な雑穀を活用した“雑穀パン”作りをおすすめします。
雑穀入りのパン生地は、炊いた雑穀を混ぜ込む方法と雑穀粉を混ぜて作る方法がありますが、あわ粉を使った生地にドライフルーツを入れた食感を楽しむヘルシーなパンや炊いたひえご飯で焼くパンはモチモチの食感がなんともいえません。
なんといっても雑穀パンは焼きたての香りと素朴な味は新しい味わいです。しっかり噛んで甘みが楽しめる栄養価の高いパンは停滞した日常に活力を取り戻すメニューです。雑穀パンに和風惣菜をサンドしたサンドイッチと楽しみも広がります。

初夏に飲む雑穀甘酒は“和風ヨーグルト”

江戸の初夏は天秤棒を担いで冷たい甘酒を売りで賑わったそうです。甘酒は冬のイメージがありますが、夏バテをしない体づくりの健康飲料だったのです。
名前は“甘酒”ですがアルコール分はゼロで麹菌の働きで、でんぷんをブドウ糖に変えた天然甘味飲料です。
腸内環境を整え悪性の菌に感染したりすることを防ぐ現代にもぴったりの保健飲料です。
ヒエやアワ、キビなどの雑穀粥で作る甘酒はカスタードクリームやチョコレート風の栄養価の高い甘酒となります。
酸化を防ぎ若さを保つ抗酸化成分を生成し、アミノ酸バランスに優れビタミンやミネラル、食物繊維も豊富な健康乳酸飲料として和風ヨーグルトともいえる夏の飲み物です。
コロナ禍の拡大する時代、健康維持増進に是非、雑穀甘酒の活用をおすすめします。
江戸の知恵を復活したいものですね。

東北の「戸(へ)」の付くまちは、馬とヒエの産地です。

青森県、岩手県には「戸(へ)」の付く地名が、一戸(いちのへ)から九戸(くのへ)までありましたが、現在は四戸(しのへ)は縁起が悪いからと変わりました。青森県に5つ、岩手県に3つの「戸」の地名がありますが「戸」の由来は、厩(うまや)の戸という意味で、南部藩は馬の生産地で官営牧場を九つの区画に分けて管理していた名残です。
もう一つの「戸」の由来になったのは、この地区で作られていた雑穀の「ヒエ」が「戸」の語源になったという説です。ヒエの実は人が食べ、脱穀後の殻や茎を馬の飼料にし、堆肥は雑穀畑で活用する“循環式農業”が早くから定着していたそうです。
「ヒエ」は生命力が強く、天明や天保の大冷害による飢饉をこの「ヒエ」で乗り越えています。厩(うまや)の戸、ヒエからの語源からの「戸(へ)」、どちらも循環式農業からの由来として「戸(へ)」の地名があると思うと納得の「戸」に思えます。地図を開いて地名の「戸」を探すのも楽しい時間ですが、どうでしょうか。

民謡「ひえつき節」を唄いながら

雑穀を代表するヒエやアワは、古くは主食でした。宮崎県の平家の落人が住みついた椎葉村で唄われている民謡「ひえつき節」をご存知でしょうか。ダム工事に入った工事関係者たちから広がり1953年(昭和28)にレコードに吹き込まれて全国に広がりました。
「庭の山椒の木鳴る鈴かててヨーホ 鈴の鳴るときや出ておじゃれヨー なんぼついてもこのヒエ搗けぬ、どこの蔵の下積みかヨ~」
椎葉村では焼畑のヒエ畑から穂先だけを刈り取り、杵でヒエを搗いて脱穀するときに唄われた仕事唄でした。
岩手県の北上山系地帯や熊本県の山地でもヒエを搗く時の仕事唄として今も残っているそうです。農閑期に男女が集まってヒエを搗くときには、恋の唄の掛け合いになったとか。ヒエは体を芯から温める陽性な穀物で、縄文時代以前から日本全土で栽培され、山間地では昭和40年代まで主食の座を保っていました。