「雑」は“雑”ではない

一つひとつに名前があってもなぜか“一派一絡げ”にして“雑貨や雑誌、雑衣や雑穀”と呼ばれるのは残念な感じがしてしまいます。古代中国の辞書では、“五采相い合うなり、五色の彩りが一つになる”とあります。僧侶の袈裟(雑衣)が色彩によって位を示すように雑他な表現ではないようです。
奈良時代末期に書かられ最古の和歌集「万葉集」は、20巻4,500首以上が、「雑歌」「相聞」「挽歌」の順に編纂されています。
めでたい正月料理のトップには「雑煮」が主役として堂々と登場してきます。どれも、雑な扱いではない気がしますが、僻みでしょうか。
雑穀も“米”が主役ではなく、ヒエ、アワ、キビが主役であったことを考えれば小粒であったことから雑穀と後付けで呼ばれたのではと思ってしまいます。「雑学」も立派な学問ですから僻まなくてもいいのですがちょっと「雑穀じゃない。スーパーフードです!」と呼びたくなります。