五穀で健康文化を

日本の総白米食の歴史は50年ほどなのだそうです。それ以前は米に麦やあわ、きび、ひえ、大豆やさつま芋、じゃが芋、大根などを混ぜて炊いた「かて飯」が日常食でした。
奈良時代の「古事記」では五穀は、米、麦、栗、大豆、小豆とあり、江戸時代の「本朝食鑑」では、稲、大麦、小麦、大豆、小豆あるいは麦、きび、米、栗、大豆とあり、これらの五穀によって民が養われていると書かれています。当時は穀類、豆類という分類はなく健康を維持するためベストな組み合わせでした。
人気のあったのは栗やきびで作った餅やだんごで、黄色い仕上がりが喜ばれスイーツ感覚もあり、穀物でカロリーを補い、大豆でたんぱく質、小豆でビタミンや抗酸化成分を補う食材で栄養学的にも理想の健康食だったことがわかります。100万人都市、江戸のバイタリティーを支えていたのは、雑穀食文化です。豊食が飽食や崩食といわれる時代ですが、今こそ雑穀食を見直したいものです。

「雑穀」は21世紀の主食に!

肥満に悩むアメリカが1977年に「合衆国の食事の目標」と題し、5千ページにも及ぶ栄養的指針を公刊しています。通称「マクガバン・レポート」で、国民栄養問題アメリカ上院特別委員会が設置され委員長のジョージ・マクガバンが調査しまとめた指針です。
そのレポートの食事の項には「穀類を主食として豆類、野菜、海草、それに小魚や貝を少量添える、元禄時代以前の日本の食事、和食こそが、人類の理想食である」と書かれています。今から41年前に、米国の肉中心の不健康な食生活が心臓病やガン、脳卒中、糖尿病の原因になっていたと食事の弊害を認めたレポートでもあったのです。
“元禄時代以前”の穀類とはまさに多種多様な“雑穀”が主食だった時代です。食事の洋風化が進み“メタボ”に悩む皮肉な日本ですが、雑穀の広がりは健康社会への救いです。
世界に広がるベジタリアンとともに、雑穀はまた21世紀の主食としたいものです。

雑穀の誤解を晴らす!

お米が日本人の主食になって雑穀は温かいうちは美味しいが、さめるとボロボロ固くなり食べにくいと食卓から遠ざけられていました。古代からヒエやアワが主食で、人々の健康を支えてきたのに、このいわれようです。
主食の王者、お米も近年はその座を“グローバル化”の波で危ない状況です。食は命の源であり“病気は食物で治せ”と言われる健康経済社会の到来で、ビタミンやミネラル、食物繊維や植物栄養素の豊富な雑穀が一気に注目され、多様な広がりを見せています。
小麦、卵、大豆などのタンパク質にアレルギー症状を示す人にとっても、雑穀は貴重な穀物ですし、動脈硬化の予防や血栓防止など脂質代謝の改善に効果があることも確認されています。
“まずい”という誤解で“健康への道”を遠回りしましたが、今ではたくさんの人が雑穀の美味しい食べ方を発信しています。21世紀は雑穀の時代であることは間違いありません。

日本の雑穀名のルーツ

縄文時代前期の地層からヒエ、アワ、キビなどの雑穀のプラント・オパール(細胞がガラス質に変わった植物タンパク石)が混じった土器片が出土しています。縄文人は雑穀を貯えて多様な食生活を送っていたようです。人類と長い縁のある雑穀たちですが、この縁が現代に受け継がれていることに愛着を感じます。
「ヒエ」は気温の冷えに耐えることから“ヒエ”と呼ばれ、「アワ」は味が淡いことから“アワ”と呼ばれたと考察されています。
地名では民俗学者の柳田国男は、「アワ」は多く生産され地域の特産物になったことから阿波の国(徳島地方)、「ヒエ」が多い国を閉伊の国(岩手県、青森県)、「キビ」が多い国を吉備の国(岡山県、広島県)と呼んだのではないかと説いています。
雑穀の産地である岩手や青森に多い二戸、八戸、九戸などの“へ”や下閉伊、稗貫などの“へい”が“ひえ”のつく地名であることも興味深く感じられます。

「あわ飯」風土記

「あわ」は、“あわ粒ほど”と言われるように五穀のうち実が最も小さい雑穀ですが、なかなか多様な食材として使われています。
お米にあわを混ぜて炊く「あわ飯」は現代でも定番ですが、茨城では麦飯にあわを混ぜて「三穀飯」となり、熊本の植木町では丸麦を使って「三穂飯」と呼び、これにからいもを入れて炊くこともあります。岡山の笠岡では、さいの目に切った芋を入れて「あわのいも飯」となります。福島の常葉町では、粘りのあるもちあわを蒸かして食べる「あわぶかし」があります。静岡の松崎町では、秋の新あわを新米のもち米に混ぜて秋にとれた大豆を入れて炊きこむ「あわの炊きおくわ」をつくります。岩手の九戸では、赤かぶを煮てそれにもちあわとそば粉を入れて、とろりとさせたかゆ「かぶえ」があり、江戸時代の飢饉のさい救荒食となったそうです。「あわもち」は現在でも定番ですが、どれをとっても“健康食”で、食べたくなります。

体を温める「ヒエ」の力

ヒエは「冷え」に耐え体を芯から温めることが語源とされ、漢字の「稗」は字源では“こまかい、ちいさい”の意だそうですから“見たまんま”の字となっています。
青森や岩手など東北の寒冷地や高冷地が主要な産地で、明治13年頃には全国で約10万ヘクタールも作付けされたという記録もあります。植物栄養素が注目され「ヒエ」の豊富な栄養成分が人気となっています。
マグネシウム、カルシウム、ナトリウム、カリウムなどの貴重なミネラル成分に加え、ビタミンB6、脂質やタンパク質、食物繊維などスーパーフードと呼ばれています。古くは主食であったヒエには、こんなことわざがあります。「栃(とち)の花盛りはヒエ播き」、「ヒエ播きは苗代さがり(あと)」、「投げてもつくヒエ苗」、「ヒエ苗は葉先を刈って植える」―倒れにくい、などヒエづくりの盛んであった頃の先人の知恵がよくわかります。このことわざ現代でも健在なのでしょうか。

世界の「ピース・フード」雑穀

古代より雑穀は少ない水と肥料で山間地でも育ち、耕地の有効活用と生態系のバランスを崩さない農業の担い手でした。その上、21世紀になって栄養学の進化とともに植物栄養素の有効性が解明され、雑穀の栄養価と成分の有効性が高く評価されています。雑穀には人の体が必要とする栄養のほとんどが含まれています。また、植物たちはこの地球上では、二酸化炭素を酸素に変え、水の循環を支え保ち、自然界のエネルギーを食物に変え、生命循環を支えてきました。植物たちは、地球の汚染を守り、人の健康を支える役割を担っているのです。8500年前の世界最古の雑穀文化で栄えた都市、トルコのチャタル・ヒュユクでは数千年にわたって争いがなかった平和な年だったことが判っています。
人にやさしく、地球にやさしい雑穀たちが平和の食「ピース・フード」と呼ばれる所以です。豊食や飽食の時代といわれるいま、雑穀の平和な食文化を見直したいものです。

雑穀は女性の化身だった!

トルコで見つかった世界最古の都市チャタル・ヒュユクの遺跡(8500年前)から、アワ、大麦と女神像が出土しています。日本でも山形県西ノ前遺跡から土偶の「縄文の女神」、長野県棚畑遺跡からは「縄文のビーナス」、中ツ原遺跡からも「仮面の女神」が出土しています。青森県の縄文時代の大規模集落・三内丸山遺跡からも多くの土偶の女性像やクリの巨木を使った住居跡や土器、石器などの生活関連遺物が発掘されています。
世界各地の先住民は、大地から穀物を生み出す力は命を生む女性であり、地球を母と感じその分身として女性を敬い、暮らしてきたのだと考えられているからです。
日本では田植えには早乙女と呼ばれる女性たちがする習わしがあるように、旧石器時代には女神信仰が存在していたといわれています。
地球がもたらす人々の命をつなぐ雑穀は、女性の化身だと敬われてきたのです。

豊かな古代の食生活

長野県上松町のお宮の森裏遺跡から縄文時代草創期(1万6千~1万1千年前)の国内最古の「クリの実」が発掘され、形が残る実が2個、実の破片が870個見つかっています。
また、千葉市の日本最大級の加曽利貝塚では、ハマグリやアサリと一緒に小指の先ほどの巻き貝、イボキサゴが多く出土していて、小さな貝を食べたのだろうかと謎でしたが最近の調査でどうやらこの貝は調味料で、ダシとして使ったのではと提起され、「和食の起源」と言われています。
狩猟採集の文化が1万年も続いた縄文時代は、雑穀たちは日々の主食として君臨していたのでしょうから、豊かな食生活が見えてきます。
奈良の纏向(まきむく)遺跡からは西暦135~230年頃の「桃の種」が2800個も見つかりました。この時代は邪馬台国の女王、卑弥呼(ひみこ)の時代で、卑弥呼も桃を食べていた可能性があると、話題になっています。
古代は豊かな自然の恵みを上手に利用した食生活だったのですね。

逆転の発想の雑穀

種は進化のなかで常に種の持続のために生き残りをかけてきました。受粉をさせる工夫、種を遠くに運ばせたり、にがみや少しの薬物を盛ったり、目立たぬような小さな粒にしたりと様々な工夫をして来ました。
20世紀に栄養学が始まっても、雑穀は古代の植物で止まっていましたが、21世紀になって植物栄養素の注目で雑穀の機能が一躍注目されています。これまで雑穀の食物繊維は消化できなく栄養価値もなく、食べ物の消化を邪魔するものと扱われてきました。ところが、21世紀になくてはならない健康食材として雑穀の逆転の発想が評価されています。かさがあり、よく噛まないと食べられないので少量でも満腹になり、水溶性食物繊維が大腸内を弱酸性に保ち善玉腸内菌を育て、腸壁を守り腸内の働きを活発にし、有害成分の排出や排泄も促進するなどの機能性があり、加えて豊富な植物栄養素の実証が分かっています。雑穀たちの力が新時代の自然の薬なのです。